高崎市金古町の諏訪神社。


金古諏訪神社の由緒は不詳。鳥居は元禄7年(1694年)の建立。



社殿は昭和6年(1931年)の建立。建築に際しては伊勢神宮の内宮正殿の古材を使用している。20年毎の式年遷宮が昭和4年(1929年)に行われているので、その時のものだろう。

拝殿前の狛犬は昭和11年(1936年)の造立。

神楽殿。金古諏訪神社の太々神楽は毎年3月・5月・12月に奉納される。江戸時代から続いているとされるが、明治17年(1884年)に六郷村小塙の稲荷神社(現、高崎市上小塙町の烏子稲荷神社)から所作の伝授を受け、現在の様式になっている。
(烏子稲荷神社は「高崎市上小塙町・烏子稲荷神社」参照)



社殿脇から裏にかけて境内社・末社が祀られている。社殿両側に境内社への鳥居が建っている。明治42年(1909年)に合祀された菅原神社や琴平宮の他、上野国延喜式内12社(抜鉾(貫前)神社・赤城神社・榛名神社・倭文神社など)も祀られていた。

境内社・末社群の中に「奥之宮 諏訪大明神」と書かれた石祠があった。2枚の扁額も置かれている(いずれも「諏訪大明神」)。



境内の祭器庫。平成19年(2007年)の建築。額には「土俵諏訪獅子舞保存会」とある。この「土俵」と「諏訪」は旧字名になる。「諏訪」は諏訪神社があるからだろうが、「土俵」とは珍しい。
ある時、金古宿に泊まった旅人が伝染病に罹患しており、それが元で町中に拡まってしまった。たまたま相撲取りが興業に来ていたので、疫病退散のため相撲をしたところ伝染病が治まったので土俵という地名がついたとされる。相撲ってやっぱり神事なのかね?
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