太田市新田上江田町の江田山龍得寺。
天文元年(1532年)横瀬泰繁により創建されたと伝えられる。
横瀬泰繁は成繁の父親で、泰繁の代にはすでに岩松氏は傀儡となっていた。泰繁は筆頭家老として専権をふるっており、当主・岩松昌純を殺害するなどしている。泰繁は昌純を討ったことで、実質上の金山城主になっている。(岩松氏は昌純の弟・氏純が当主になった。)
横瀬泰繁の墓と伝わる五輪塔。
みどり市笠懸町にある天神山で産出した凝灰岩で作られており、高さは地輪が43cm、水輪が38cm、火輪が5cm、空輪・風輪が31cm。
水輪には「龍得寺殿」、地輪には「天文十四年巳九月九日 前信州大守威岳宗虎大居士 由良信■守源泰繁」と刻まれていることから、横瀬泰繁の墓石と伝えられている。天文14年は1545年。泰繁は同年の壬生合戦で戦死している。
ただ、全体的な形状や笠懸町天神山の凝灰岩を使用していることなどから、鎌倉時代未から南北朝時代にかけて作られたと推定され、後の時代になって追刻されたものとも考えられる。
五輪塔は覆屋に入っているが、鍵がかかってなかったので勝手に開けさせてもらった。もちろん、ちゃんと閉めてきた。
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