高崎市金古町の桃山稲荷神社。

桃山稲荷神社 (1)
桃山稲荷神社 (2)
桃山稲荷神社は大永6年(1526年)箕輪城主・長野信業が本丸の乾の方角(西)に一祠を建立し、山城国伏見稲荷の分霊を勧請したのが始まりとされる。永禄9年(1566年)の箕輪城落城前に時の城主・業盛が遷座(箕輪城内から退避)させたといわれる。

桃山稲荷神社 (3)
桃山稲荷神社 (4)
桃山稲荷神社 (5)
社殿は平成15年(2003年)に屋根を銅板葺に改修している。拝殿の扁額は「鎮西五社稲荷大神」。社殿前の灯籠は向かって右は大正7年(1918年)、左は天保5年(1835年)の奉納。

桃山稲荷神社 (6)
境内の松が良い雰囲気を醸し出している。

桃山稲荷神社 (7)
桃山稲荷神社 (8)
桃山稲荷神社 (9)
鳥居扁額には「五社稲荷大神」とあるので、桃山稲荷神社の旧鳥居と思われる。そうすると祠は本宮かな?

桃山稲荷神社 (10)
桃山稲荷神社 (11)
神楽殿。毎年、例大祭時に金古太々神楽が奉納される。

由緒に書いた長野信業は憲業とも言われ、有名な業正の父とされる。一部には信業の実在性を疑問視する説もあり、その場合は業正は方業の子とされる。また、一般的には方業は信業の弟とされている。分かりづらいけど、長野氏の系譜ははっきりしないということ。