太田市龍舞町の瑞蓮山浄光寺。

浄光寺 (1)
浄光寺 (2)
天正12年(1584年)の北条氏による金山城攻撃の際、兵火にかかり焼失、その後、舜庵全尭大和尚が再建したと伝えられる。

浄光寺 (3)
本堂西の墓地内に、鎌倉時代末の五輪塔が4基ある。総高150cm前後で、いずれも凝灰岩製。現在は風化により判読できないが、右端五輪塔地輪部の中央に「アー」の梵字、右側に「蓮生幽儀助信□霊」の銘文があったといわれている。

江戸時代に著された「上野国志」によると、「幽儀助信」は新田小四郎義忠の法名とされる。

かつては、「元弘三年(1333年)癸酉二月廿九日」の紀年銘も見られたが、今では梵字以外は判読が困難となっている。

新田義忠って、新田義貞のことだって書いてある資料もある。時代的にはあってるが、義貞の没年は延元3年/建武5年(1338年)なのでちょっと違うし・・・。