高崎市金古町の甲州稲荷神社。
甲州稲荷神社は文化4年(1807年)甲州の正一位稲荷大明神の分霊を勧請し創建。解説板にはこう書いてあったが、正一位は稲荷神の神階なので、何てことはない甲州(山梨県)のどこかの稲荷大明神(神社)からってこと。
稲荷神社は県内にも多いので、なぜ甲州から? との疑問は残るが。とは言え、こちらで「甲州稲荷」と固有名詞になっているのは、地域に根付いている証拠だろう。
ちなみに昔は伏見稲荷大社の稲荷神が正一位で、そこから分霊した稲荷神は別途神階を得る必要があった。しかし鎌倉時代から分霊神も正一位に叙することが可能となり、今では全国どこの稲荷神社(分霊の分霊でも)も正一位を名乗っているが実情である。
覆屋内には祠が鎮座し、狐像が多く納められている。
覆屋前には稚産霊神(わくむすびのかみ)の石碑がある。明治20年(1887年)の大霜により桑畑に大きな被害が出たため、農家はやむを得ず蚕を土に埋める苦渋の選択をした。その蚕の霊を供養するため建立したもの。
神話では稚産霊神の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じた(日本書紀)とあることから、養蚕と五穀豊穣の神とされる。
コメント