高崎市元島名町の将軍塚古墳。

将軍塚古墳 (1)
将軍塚古墳 (2)
将軍塚古墳は全長96mの県内最大級の前方後方墳。後方部の幅51m、高さ8.6m、前方部の長さ40m、高さ4.7mで、周堀を含めた全長は約150mと推定される。墳丘は2段に築かれ葺石は認められない。4世紀後半から5世紀初頭ごろに築かれた古墳時代初期の古墳。

将軍塚古墳 (3)
将軍塚古墳 (4)
将軍塚古墳 (5)
前方部の墳丘上には島名神社が鎮座している。島名神社の創建年は不明だが、彦狭島王をご祭神としていることから将軍塚古墳は彦狭島王の墳墓との伝承もある。

彦狭島王は東山道十五国都督に任じられており、「将軍塚」という名前はちょっと意味深。と言っても、いつから「将軍塚」かは不明だけど・・・。ちなみに、彦狭島王は豊城入彦命の孫で、御諸別王の父である。

明治44年(1911年)の社殿拡張工事の際に、後方部で全長1.8mの粘土槨が発見されている。粘土槨内からは人骨とともに鏡、石釧、刀片などの鉄製品が出土している。

また、昭和55年(1980年)の土地改良に伴う調査では、周堀部から壺形土器(底部穿孔壺)が多数出土している。 これらは後方部の頂上に並べられていた土器と考えられる。なお、土器は近くにある高崎市歴史民俗資料館で見ることができる。

関連
 「高崎市石原町・三島塚古墳