高崎市木部町の龍谷山心洞寺。
心洞寺は源範頼の孫・吉見次郎義世の子孫である木部範虎の開基。源範頼は源頼朝の異母弟なので、木部氏は源氏の流れをくむ。
心洞寺は木部氏館跡といわれる。境内の南側に土塁のような土盛りがみられるが、館の遺構かは不明。
木部範虎の墓。
木部範虎は長野業正の娘(4女といわれる)を娶り、箕輪衆の一員として活躍した。永禄9年(1566年)武田信玄の上州侵攻により箕輪城は落城、その後は信玄に仕える。
この時、範虎の妻(木部姫)は落城前に箕輪城を脱出したが、落城の報に悲嘆のあまり榛名湖に入水。龍になったという伝説がある。心洞寺に位牌がある。戒名は龍體院殿天生證券真大姉。(木部姫伝説に関しては、関係するところに行ってきてから詳しく書くつもり)
範虎は信玄、勝頼に仕え、天正9年(1581年)高天神城の戦では一番槍の武勲をたてる。しかし翌天正10年(1582年)天目山の戦で勝頼自刃の際討死。享年72歳といわれる。
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