高崎市山名町の龍玉山光台寺。

光台寺 (1)
光台寺 (2)
光台寺の創建は、正慶2年(1333年)游行六代一鎮上人によると伝えられる。1333年と言えば、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼした年にあたる。

光台寺 (3)
光台寺 (4)
高崎はかつてタバコの産地で、光台寺で栽培されたたばこは「光台寺たばこ」と呼ばれ、銘葉として知られていた。江戸時代には高崎宿や倉賀野宿で販売され、参勤交代で中山道を利用していた加賀前田家などの大名家が愛用していた。また、大名家を通じ将軍にも献上されていたという。

光台寺 (5)
高崎市の重文に指定されている線刻地蔵菩薩立像石仏。安山岩の一面を平に加工し、上半に立像の地蔵菩薩を線彫りし、下半に永享9年(1437年)造立の日付が刻まれている。ただ風化が激しく、地蔵菩薩像すらよく分からない。

光台寺 (6)
山門脇に全國山名氏一族会が立てた「山名館跡」という案内板がある。山名氏の「栄光の歴史」が綴ってあり、その中に「現在の此処光台寺境内は山名館であった。初代・義範以降8代にわたり居住した」とある。

初耳だったのでいろいろ調べてみたら、「日本城郭大系」という城郭研究本に書かれているらしい(この本は既に絶版になっている)。しかし光台寺が「山名館跡」という歴史的な証拠・根拠はない。

案内板を設置した「全國山名氏一族会」のHPでも、「館時代から受け継がれて来た遺構など、表だって山名氏との結びつきを語るものは残されて居りません」ということが書いてあった。

でも、案内板には「山名館であった」と断定的に書いてるけどね(笑)。館跡として別の場所を比定している資料もあり(そちらも根拠はない)、館がどこにあったかは歴史的に不明なのだから、光台寺も山名氏一族会も「という説がある」くらいにしておけばいいのに・・・。