高崎市高松町の群馬音楽センター。

音楽センター (1)
音楽センター (2)
昭和36年(1961年)高崎市の文化的なシンボルとして完成。設計はアントニン・レーモンドである。(上からの写真は、高崎市役所展望ホールから。上側が正面。)

音楽センター (3)
音楽センター (4)
その独特な外観は、折板構造(不整形折面架板構造)によるもので、内部は地下1階・地上2階の構成となっている。

1932席あるホールは、コンサートホールとしてはもちろん、日本の伝統芸術である歌舞伎や能、オペラ、バレエなどが上演されている。

建設費は3億円で、市の予算から2億円、市民の寄付から1億円。昭和36年当時の高崎市の予算は約7億円なので、文化事業に予算の約30%を使ったことになる。

ちなみに平成25年(2013年)度の高崎市の予算は、合併で市が大きくなっていることもあるが、約2461億円である。

音楽センター (5)
正面入り口前には、コントラバスをかたどった電話ボックスがある。音楽センターならではであるが、今の時代に電話ボックスのニーズはほとんどないと思われる。とは言え、オブジェと考えればふさわしいデザイン。

群響
群馬音楽センターは群馬交響楽団(群響)の本拠地である。群響は昭和20年(1945年)高崎市民オーケストラとして創設され、昭和30年(1955年)公開の映画「ここに泉あり」のモデルとなった。(写真は群響のHPから)

昭和22年(1947年)に始めた移動音楽教室は、県内各地の学校を廻るもので、児童・生徒が音楽に親しむ良い機会となっている。

群馬県民は子どもの頃、1回は学校に群響が来て、その演奏を聴いているはずだ。