前橋市川原町1丁目の大興寺。

大興寺 (1)
大興寺は寛文7年(1667年)松平直矩(松平大和守家2代)によって姫路城下に創建。以後、直矩の転封のたびにその領地へと移転している。直矩は「引越し大名」と呼ばれたほど転封が多かった。

大興寺は直矩以降も松平大和守家の転封のたびに移転している。大興寺が前橋に移ってきたのは慶応3年(1867年)で、明治維新直前となる。当初は前橋柿ノ宮(前橋城内の南側地域)の寿延寺を借寺としていたが、明治5年(1872年)に現在地である川原町の旧薬王寺跡に移っている。

大興寺 (2)
大興寺 (3)
本堂は最後の前橋藩主・松平直克の邸宅を明治8年(1875年)に移築したもの。そのため寺院建築に見られる特徴(彫刻や彩色画など)は一切なく、城主が日常的に使用する大名邸宅そのままとなっている。

大興寺 (4)
大興寺 (5)
境内の薬師堂。平成16年(2004年)の新築建立。由緒などは分からない。

大興寺 (6)
子育て観音。

大興寺 (7)
寺域西側に並ぶ仏塔類。二十二夜塔や念仏供養塔。二十二夜塔は文化11年(1814年)の造立。なお、これらの仏塔類は旧薬王寺のものである。

松平大和守家は寛延2年(1749年)朝矩(5代目)の代に前橋へ移ってきたが、前橋城が利根川の浸食により城郭の破壊が進み、明和4年(1767年)藩庁を前橋から川越に移している。その後、直克(11代目)の代の慶応3年(1867年)に前橋に本拠を戻している。

大興寺と同様に東照宮も松平大和守家の転封のたびに遷座している。また、長壁神社には松平朝矩が川越に藩庁を移す際のちょっと怖い話が残っている。
(「前橋市大手町三丁目・前橋東照宮」「前橋市大手町一丁目・長壁神社」参照)