前橋市富士見町漆窪の富雄山長桂寺。

長桂寺は長享元年(1487年)漆原城主・長尾大膳長景が開山に子持村雙林寺・曇英慧応を招いて開創した。曇英慧応は後に曹洞宗総本山・永平寺の住職に就任するほどの高僧とされる(ただし短期間だったようで、現在では永平寺の歴住には数えられていない)。
その後荒廃したが、慶長2年(1597年)峯月宗泉が中興開山に北橘村桂昌寺2世・大超宗察を招き復興している。もとは城下(漆窪城下)にあったが、寛延4年(1751年)現在地へ遷っている。


現在地へ遷った寛延4年建立の本堂は昭和60年(1985年)に焼失。現在の本堂は平成8年(1996年)の再建である。また、併せて境内の整備を行っている。そのため境内の造形物は同年前後の建立や奉納が多い。


六地蔵と本堂前の布袋尊。


池に水はなかったが、このように祀られていることから弁天宮と思われる。

池のほとりにはカエルの石像。「無事かえる」「福かえる」「お金がかえる」などに引っかけた縁起物となっている。最近お寺や神社でよく見かけるようになった。

本堂前のしだれ桜。


薬師堂。通称片目薬師如来と呼ばれる薬師如来石像が安置されている。由緒は分からない。

堂内の「醫(医)王閣」の扁額は安永5年(1776年)の製作。揮毫は源義寄。義寄は岩松氏で旗本。岩松氏と長桂寺とは、何か縁があるのだろうか?
ちなみに岩松氏は明治に入ってからだが、新田氏の正当な末裔と認められている。
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