前橋市富士見町原之郷の富士原神社。
「冨士原」(社号標や鳥居扁額)と「富士原」(玉垣、拝殿扁額)表記が混在しているが、記事内は「富士原」で統一した。

富士原神社は元は神明宮。明治40年(1907年)に原之郷村内の赤城神社、八幡宮、熊野神社、大山祇神社などを合祀、富士原神社と改称している。玉垣に「富士原神社移転完成記念」とあり、裏側に「平成12年」とあったので、平成12年(2000年)に現在地に遷座しているようだ。


鳥居は4基あり、2基目の鳥居は合祀された八幡宮の鳥居。宝暦10年(1760年)の建立。


3基目は天満宮。安政6年(1859年)の建立。


4基目は富士原神社改称時のもの。扁額は「冨士原神社」。明治40年(1907年)の建立。柱部に「日露戦争紀念」とある。

それぞれの旧神社の燈籠も並ぶ。



社殿前の狛犬は平成12年(2000年)遷座時の奉納。拝殿扁額は「富士原神社」。社殿は鮮やかな朱色で彩られ、とにかく目立つ。

拝殿に「神社御璽」と「疫病退散御守護」が掲げられていた。「富士原神社」と「赤城神社」があるのは、富士原神社の宮司を赤城山赤城神社が兼務しているからかな。


社殿裏の境内社・末社群。合祀神社の境内社・末社の石宮と思う。
境内社・末社群の後ろ側に「御神木夫婦杉由来」という石碑があった。「正親町天皇の御代(1557~86年)に植樹した2本の松は、成長し相抱きて一体となった。星移り世は変わって老齢遂いに枯死するに至った。氏子一同はこれを悲しみ神木のご功徳を後世に伝える様あづまやを建てて保存する事にした」(要約)。昭和46年(1971年)の建碑。
それらしきものは確認できなかったが、旧社地にあるのかな。
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