前橋市富士見町石井の石井山珊瑚寺の2回目。
今回は主に珊瑚寺の諸堂について。
(1回目は「前橋市富士見町石井・石井山珊瑚寺」参照)


地蔵堂。梶原景時の女(むすめ)が地蔵菩薩を祀ったのが始まりとされる。江戸時代には前橋藩の祈願所であった。現在のお堂は宝暦4年(1754年)の建立。昭和12年(1937年)の屋根の葺替えの際に発見された棟札には、下野国芳賀郡興野村の黒崎勝右衛門によって建てられたとある。


地蔵尊は子育て地蔵として有名で、多くの参拝客が訪れる。本尊の地蔵像は厨子内だと思うので、写真の地蔵像は前立像的なものだと思う。




平成31年(2019年)に大改修が行われ、彫刻(向拝の龍や木鼻の聖獣、お堂側面)なども往時の輝きを取り戻している(個人的にはちょと着色し過ぎかなとも)。


側面の彫刻は中国の故事にちなんでいるが、その中で「布袋尊の袋を引く唐子」の布袋尊の足の向き(赤丸部)が逆に見えると、時の前橋藩主が激怒したと伝わっている(クリックして拡大すると、多少見やすくなるかと)。

千仏堂。昭和50年(1975年)の建立。


閻魔大王が鎮座している後ろに、多くの仏像が安置されている。


地蔵堂の裏山(?)に稲荷神社が祀られている。屋敷神として弘化2年(1845年)に祀られたようだ。養蚕の神様としても地域の人々からも信仰されているという。



お寺にある屋敷神なのでか、社殿とは言わず「稲荷堂」と呼んでいる。
以下、つづく。次回は源頼朝や梶原景時父子の墓といわれる中世の石造物を紹介する。
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