高崎市新町の首塚八幡宮。

首塚八幡宮 (1)
首塚八幡宮 (2)
天正10年(1582年)の神流川の合戦で討死した将兵の首実験をした場所と伝わる。そのため「実見塚」とう地名(字名)になったとされる。首は当地に埋葬され、石祠を設け首塚として村人に祀られてきた。

八幡宮がいつ祀られたのかは不明だが、明治以前までは塚の高さは6mほどもあったという。しかし明治・大正のころ、刀剣類を目当てにした「盗掘」が多発し、塚とは名ばかりに崩れてしまった。その後は荒れ地のようになってしまっていたのを、昭和37年(1962年)に地元の方々が整備している。

首塚八幡宮 (3)
八幡宮の社(左)と首塚の石祠。八幡宮の社は昭和37年(1962年)、首塚の石祠は昭和53年(1978年)の建立。

首塚八幡宮 (4)
首塚の旧石祠も残されている。こちらは昭和37年(1962年)の建立。

首を祀っていることから、首塚八幡宮は首から上の病(脳の病、精神病、歯の病など)にご利益があるとされる。お参りは丑三つ時(午前2時~4時)に誰にも知られずに行うのが良いとされる。合戦で討死した武者の霊が悩める人の苦しみを救うからだと言うが、かなり怖い時間帯だ。

ところで、同じ新町の堂場墓地前に「神流川合戦の供養塔」が建っている。実は明治44年(1911年)に「堂場の塚」と呼ばれる場所から多数の頭蓋骨が見つかっている。「堂場の塚」が神流川合戦の首塚との伝承もあり、供養塔が建立されている。
(「高崎市新町・神流川合戦の供養塔」参照)

関連
 「高崎市新町・神流川古戦場跡の碑
 「藤岡市岡之郷・胴塚稲荷神社
 「玉村町角渕・軍配山古墳(御幣山古墳)