桐生市天神町3丁目の桂林山久昌寺。
久昌寺は寛永年間(1624~44年)に鳳仙寺第八世・応山牛喚大和尚の開山と伝わる。
桐生七福神第五番札所・恵比須神を祀る。
墓地の中にある井戸跡。
梅原館が桐生氏居館であった頃、この浅井戸から良質の水が湧き出ていたため、館のお茶の水として使用されていたという。
(梅原館は「桐生市梅田町・梅原館跡」参照)
井戸跡前には「古跡桐生大炊介茶寮之井戸」という石柱が建っている。桐生大炊介は一般的には桐生助綱だと言われるが、桐生氏の出自や系譜は諸説あるので、よく分かっていない。
墓地東側にある旧六地蔵。なんで旧かというと、本堂前に新しい六地蔵があるため。この旧六地蔵の右端の地蔵像は「金八地蔵」と呼ばれている。
この金八地蔵には天保14年(1843年)に桐生を襲った「荒神の大火」にまつわる伝説がある。荒神の大火の失火者として金八という者が処刑されたが、実は金八は無実だったことが分かり、地域の人が地蔵像を建立し祀った。
金八地蔵は当初梅原館跡に祀られており、桐生川の氾濫を自らを赤くして知らせたといわれる。しかし大正時代に台座が盗まれ(後に出てきた)たのを機に久昌寺に遷されている。
しかしそれ以降、金八地蔵は桐生川の氾濫を知らせてくれなくなったという。
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