桐生市境野町の瑞龍山祥雲寺。

祥雲寺 (1)
祥雲寺は慶長3年(1598年)高橋丹波守橘英元の開基。英元は丹波国から下向し由良国繁に仕え、由良氏四天王のひとりに称される活躍を見せたが、由良氏が常陸国牛久に転封になった際、この地に土着している。

由良国繁は牛久転封時に石高が1/3になったので、多くの家臣が桐生に土着せざるを得なかった。四天王と言われた家臣も例外ではなかったということ。

祥雲寺 (2)
鐘楼が山門と本堂の中間に位置している。鐘楼はだいたい参道の脇にあるのが一般的なので、この伽藍配置は珍しい。本堂に参拝するのに梵鐘の下をくぐる鐘楼門としての役割を果たしている?

祥雲寺 (3)
祥雲寺 (4)
現在の本堂は寛成元年(1789年)の再建。外観が比較的きれいなので、改修はされていると思う。

祥雲寺 (5)
本堂裏にある開基・高橋丹波守橘英元の墓。

祥雲寺 (6)
丸橋彦三郎海軍少将の碑。碑の揮毫は海軍大将・鈴木貫太郎(後の首相)。丸橋少将は当地の出身で、日露戦役の日本海海戦で信濃丸副長として敵艦来襲をいち早く報告し、海戦を勝利に導くもとをつくった功で金鵄勲章を賜っている。