前橋市田口町の角田無幻書の青面金剛塔。

角田無幻書の青面金剛 (1)
田口町の墓地の一角に女人講塚や庚申塔などが集積されている。

角田無幻書の青面金剛 (2)
如意輪観音が彫られている女人講塚。天保7年(1836年)の造立。

角田無幻書の青面金剛 (3)
角田無幻書の青面金剛 (4)
庚申塔、百番供養塔、念仏供養塔、仏塔(大日如来)が並んでいる。読めた限りでは明和8年(1771年)、寛政11年(1799年)、万延元年(1860年)の銘あった。

角田無幻書の青面金剛 (5)
その中に角田無幻書の青面金剛塔がある。寛政12年(1800年)の造立。

角田無幻は寛保3年(1743年)下野田村(現吉岡町)の花蔵寺に生まれ、宝暦8年(1758年)に津久田・林徳寺の法嗣(養子)になっている。寛政4年(1792年)に京都に上り、大善院の住職となり修験宗門弟の講学所・森学寮を創立し、門弟の指導に尽力している。また寛政12年(1800年)には、伝法大阿闍梨法印に叙せられている。
(「角田無幻道人の遺髪塚」参照)