吾妻郡高山村大字尻高の熊野山泉龍寺。

大同年間(806~810年)に弘法大師の開山と伝えられる龍海山泉照寺が数度の火災に遭ったことから、文禄元年(1592年)当地に移転し泉龍寺となった。
慶長3年(1598年)には、利根郡みなかみ町(旧月夜野町)嶽林寺の五世・関室伝察(かんしつでんさつ)和尚を迎え、中興開山している。嶽林寺は「天下の義人」として有名な茂左衛門の菩提寺。(「茂左衛門の菩提寺 -嶽林寺-」参照)



山門手前に閻魔大王が鎮座していた。


本堂裏手に、源頼朝が植えたという高野槇がある。寺伝によると、建久年間(1190~99年)に源頼朝が浅間山麓に巻狩りに来た際、泉龍寺で休憩し自ら植えたといわれている。
樹齢は約800年と推定され、目通り6.3m、根元廻り13.8m、樹高29.5mを誇る立派なもの。(一説によると、全国で4番目の大きさをらしい。)
でもよく考えると、泉龍寺が当地へ移転してきたのは文禄元年。源頼朝とは全然時代が合わない。泉龍寺で休憩したという部分は・・・。
ただ、この地には行基の草庵があったといわれているので、ここで休憩したというのはあるかも。
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