吾妻郡中之条町山田の吾嬬神社。
吾嬬神社は坂上田村麻呂がこの地を訪れ、吾嬬山頂に日本武尊の分霊を勧請したのが始まりといわれる。大道元年(810年)のこと。その後永正2年(1505年)に、山頂の奥宮から神像を現在地に遷座している。
現在の社殿は宝暦元年(1750年)に造営されたものといわれる。拝殿は入母屋、銅板葺きで、正面欄間には浮彫の大きな彫刻がついている。本殿は一間春日造り風、銅瓦棒葺きで彫刻等は少ないが、全体が極彩色で彩られている。
日本書紀によれば、碓日嶺(うすひのみね)において日本武尊が弟橘媛を想い、「吾妻はや」(我が妻よ)と嘆いたことから、この辺りを「吾妻」という。実際は東国全体のことといわれてるけど。
ちなみに古事記では、この逸話は神奈川県足柄の坂本(足柄山)でのことと書かれている。
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「草津町草津・白根神社」
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