渋川市中郷の黒井峯遺跡。

黒井峯遺跡 (1)
黒井峯遺跡 (2)
昭和57年(1982年)軽石を採石中に、竪穴式住居跡や古墳の跡が発見されたことをきっかけに調査が行われた結果、1.5m~2.5mの厚さの軽石に覆われた層の下より、竪穴式住居・掘立柱建物などの集落跡が発見された。

黒井峯遺跡 (3)
黒井峯遺跡 (4)
東西約700m、南北400mの集落遺跡である。集落は榛名山の大噴火による大量の軽石・火山灰の噴出によって、火災や倒壊を起こす間もなく、ほぼ瞬時に壊滅・埋没したと推定されている。

住居跡の他に、穴を掘らずに壁をめぐらして屋根をかけた平地式の倉庫、牛や馬を飼っていた家畜小屋も見つかっている。建物を取り巻く垣根や道、苗代、祭りを行った跡も見られる。

黒井峯遺跡 (5)
榛名山は6世紀初めに2度の大爆発を起こしており、この大爆発では全国的に有名になった「甲を着た古墳人」が発見された金井東裏遺跡も、火山灰の下に埋もれている。
(「甲(よろい)を着た古墳人・群馬県埋蔵文化財調査センター」参照)

今は保存のため埋め戻されているが、史跡公園として整備するという話を聞いたことがある。こういうことには、なかなか予算が付きづらいけど、早く実現してほしいものだ。

ところで、黒井峯遺跡に関して「日本のポンペイ」と表記しているものもある。「日本のポンペイ」と言ったら浅間山の大噴火で埋没した嬬恋村の鎌原地区が思い浮かぶ。
(「嬬恋村鎌原・鎌原観音堂」参照)