渋川市北橘町下箱田の群馬県埋蔵文化財調査センター。
3月3日~8日の間、渋川市の金井東裏遺跡で発見された「甲(よろい)を着た古墳人」が一般公開されている。
「甲を着た古墳人」は、6世紀初頭の榛名二ツ岳の大噴火による火山灰層の下から見つかり、武具を着けた状態での発見は日本初とのことで、全国的なニュースとなった。
平日の昼時というのに、行列ができていた。
まず、センターの方からパネルを使って、発掘の状況などの説明を聞く。
両膝を曲げた状態で、前のめりに倒れた姿勢の「甲を着た古墳人」。後頭部の骨は失われているが、左手は指まで確認できる。
おしり側から。骨盤や大腿骨が見える。
甲は「小札(こざね)」と呼ばれる厚さ1mmほどの鉄板を綴った小札甲とみられ、草摺と呼ぶ甲の下の部分がずりあがったようになっている。
小札甲を作る工房は近畿しか見つかっておらず、群馬県内でも小札甲が副葬品として出土しているのは支配者層の古墳に限られていることから、大和王権とつながりが深い、政を担うような首長など、地位のある人物ではないかという。
近くで乳児の頭骨が見つかっていることから、乳児を助けようとしていた説、山の神を鎮める祈り説など、いろんな説が出ている。まあ、ほんとのところは分からないだろうから、自分なりに想像して楽しめばいいと思う。
今後、人骨と甲を切り離す作業が始まるので、「甲を着た」状態での公開は今回が最後となるという。
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