吾妻郡高山村中山の塩原太助・馬つなぎの松。

塩原太助・馬つなぎの松 (1)
県道36号線から赤根峠や金比羅峠に向かう旧道に入り、しばらく進むと写真の標柱が目に入る。「高山村指定天然記念物 塩原太助馬つなぎの松」。昭和63年(1988年)の設置。

ここは赤根峠方面と金比羅峠方面への分岐点。ところがどちらに行けばいいのか、その先への案内標識がない。この日は事前調査不十分だったので、どっちに行けば良いか分からず。

塩原太助・馬つなぎの松 (2)
正解は金比羅峠方面へ進む(実は赤根峠方面に行き、何もなく戻ってきた)。こっちの方が道が狭いので、入るには多少の勇気がいる。高山村教育委員会さん、案内標識を設置して。

塩原太助・馬つなぎの松 (3)
不安の中進んでいくと、解説板が見えてきた。

塩原太助・馬つなぎの松 (4)
塩原太助が江戸を目指して出立する際、愛馬「あお」をこの松につなぎ別れたと伝わる。

実際の馬つなぎの松は平成18年(2006年)に老木ゆえに枯れてしまい、現在の松は2代目となる。初代は樹齢約300年、目通り2.5mであった。幹の一部は「いぶき会館」に展示されているらしい。

塩原太助とあお
この写真はみなかみ町(旧新治村)新巻の塩原太助翁記念公園にある愛馬「あお」との分かれシーンの銅像。

実は太助が「あお」と別れた場所(「あお」をつないだ松)は複数箇所ある。そのうちのひとつが今回の高山村中山の金比羅峠付近。他は生家近くの「香才ヶ原」(みなかみ町師田)と旧白沢村(現沼田市白沢町)の上古語父。

塩原太助が「あお」を連れ家を出て、途中で松につなぎ別れたとされるのは伝承の域を出ない(真偽不明)。三遊亭円朝の「塩原多助一代記」(後に歌舞伎・浪曲・講談などにもなっている)が元ネタみたいだ。

「太助」を「多助」とすることで、フィクションだと言っているのだと思う。とは言え、事実と創作が入り交じっているので区別がつかなくなるんだよね。