佐波郡玉村町川井の八幡宮。
川井地区にはもうひとつ八幡宮があるため、区別する意味で東八幡宮や下の八幡宮と呼ばれている。(西八幡宮は「玉村町川井・西八幡宮」参照)

川井東八幡宮 (1)
川井東八幡宮 (2)
川井東八幡宮は天正年間(1573~92年)に金窪城主・斎藤定盛が武運長久のため山城国・石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まり。これは川井西八幡宮の由緒と同一である。

川井東八幡宮 (3)
社殿前の灯籠は浅間山の噴火(天明の浅間焼け)の際に流れてきた溶岩を加工して造られている。天明3年(1783年)の浅間山大噴火では、当地も押し寄せた溶岩混じりの泥流により大きな被害を受けている。

川井東八幡宮 (4)
川井東八幡宮 (5)
社殿は大正元年(1912年)に火災で焼失、大正3年(1914年)に再建されている。

東八幡宮には誉田別命(ご祭神、八幡神・応神天皇)の弓持坐像が宝物として残されているという。火災を逃れられたのかな。社殿内に安置されているか、別場所で保管されているかは不明。

川井東八幡宮 (6)
「御成婚」と書かれた石碑(左)と「斎藤千代碑」。御成婚の石碑は大正13年(1924年)とあったので、昭和天皇のご結婚を祝してのもの。斎藤千代碑には短歌が記されているので、地元の歌人であろうか?