佐波郡玉村町川井の八幡宮。
川井地区にはもうひとつ八幡宮があるため、区別する意味で「西八幡宮」や「上の八幡宮」と呼ばれている。

川井西八幡宮 (1)
川井西八幡宮は天正年間(1573~92年)に金窪城主・斎藤定盛が武運長久のため山城国・石清水八幡宮の分霊を勧請したのが始まり。天正年間と言っても、天正10年(1582年)の神流川の合戦で斎藤氏は没落しているので、それ以前の創建となる。
(斎藤定盛は「川井城の櫓台跡 -八千矛神社-」参照)

一の鳥居は烏川の堤防側にある。手前の木が生い茂っており鳥居を隠すような感じになっている。

川井西八幡宮 (2)
二の鳥居は前を通る道路沿いに建っている。

川井西八幡宮 (3)
川井西八幡宮 (4)
拝殿は棟札から延享3年(1746年)の建立、宝永3年(1706年)に改築した旨の棟札もあるという。現在の拝殿の詳細は不明。本殿(覆屋内)は18世紀の建立とされる。

川井西八幡宮 (5)
社殿裏の境内社・末社群。秋葉社、稲荷社など。

現在は神流川が群馬県と埼玉県の県境になっており、埼玉県上里町は完全に別地域であるが、当時は神流川や烏川がどの辺を流れていたかは知らないが、上里町と玉村町の南西部は同じ地域だったのだろう。