北群馬郡吉岡町下野田の法雲山華蔵寺。
華蔵寺は永正16年(1519年)元山法印の開山。
山門前の中の島に弁財天が祀られている。石祠は宝永5年(1708年)の造立で、高さ132cm、棟幅75cm、奥行き86cm。
屋根の棟(左右とも)にふっくらした鬼面が彫られている。鬼面は高さ15cm、幅12cm。鬼と言うがふっくら顔で優しい目をしており、口元は微笑んでいるように見える。本当に鬼?
南下の下八幡宮にも鬼面の彫られた石祠あがある。(「吉岡町南下・下八幡宮」参照)
観音堂。祠の扉が閉まっており詳細不明。
庚申塔が並んでいる。どれかは分からなかったが、角田無幻の書によるものがあるらしい。角田無幻は華蔵寺の生まれの書家。(無幻の詳細は「角田無幻道人の遺髪塚」参照)
中央の青面王・一石庚申塔は万延元年(1860年)の造立。
本堂は老朽化しているようだが、現役なのかな。他に本堂らしき建物はなかったと思うが。
8世・浄聖院亮衍(りょうえん)の墓。亮衍は修験者(山伏)であり、国学者でもあった。和漢の知識に秀でており、また稀代の蔵書家でもあった。国学者・塙保乙一が編纂した「群書類従」の編集に携わったと伝わる。
亮衍は角田無幻の兄であり、無幻とともに京都で修験学則の選定などに尽力している。文化3年(1806年)京都で没している。
亮衍が創設した獅子園書庫。聖教類(仏教関係書)を含む、貴重な典籍や古文書など多くの資料を収蔵している。建屋じたいはまだ新しい。
亮衍は本居宣長や屋代弘賢らとも親交がある傑出した国学者であったが、修験者であったためその存在が疑問視されていた。この獅子園書庫の発見が亮衍の実在を証明することとなった。
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