藤岡市西平井の平井山常光寺。

常光寺 (1)
常光寺は元亨3年(1323年) 原常光が開基し、観光普門和尚の開山といわれる。

常光寺 (2)
常光寺 (3)
山内上杉顕定の菩提寺といわれるが、天文21年(1552年)の平井城落城時や文禄年間(1592~96年)に焼失し、上杉家の位牌や記録は失われている。そのためか、上杉氏にまつわる遺物はなく、藤岡市の解説板がなければ上杉氏ゆかりのお寺とは分からない。

山内上杉顕定は、文正元年(1466年)に上杉家を継ぎ、関東管領となり、以後44年の長きにわたり関東管領を勤めている。顕定は永生7年(1510年)長森原(新潟県六日町)の戦い敗北、自刃している。

新潟県南魚沼市下原新田の周辺には、かつて長森原の戦いの戦没者を埋葬したとの伝承をもつ塚が点在していたが(下原百塚)、その中でひと際大きな塚は管領塚と呼ばれ、顕定の墓と伝えられている。

しかし、この時代は資料を何回読んでも理解できないね。鎌倉公方だ古河公方だ、各家は内紛だらけだし、室町時代中・後期の人気がないのも分かる気がするよ。