藤岡市西平井の上杉乳母神社。

上杉乳母神社 (1)
上杉乳母神社 (2)
天文21年(1552年)に小田原の北条氏康に攻められ、関東管領・山内上杉憲政は越後に亡命。平井城は落城した。

憲政は平井城退去に際し、妻子を置き去りにしたとの説がある。実際に越後には同行していない。

では、残された妻子、特に子どもたちはと言うと・・・。嫡子・龍若丸は家臣の裏切りにより、北条へ引き渡され落命(異説あり)。次男・鶴若丸は乳母とともに多比良(吉井)方面に落ちる途中、北条方に見つかってしまい、乳母は奮戦したが鶴若丸は殺害され、乳母は自害したという。

上杉乳母神社 (3)
村人たちは、乳母と若君の亡骸を手厚く葬り、祠を建てて祀った。

上杉乳母神社 (4)
後世、最後まで主君に忠節を尽くした乳母を称えて、「若君と 共に野末に 散り果てし 乳母の御魂は 尊うとかりけり」という碑が建てられている。

もともとは、憲政が天文15年(1546年)の河越城夜戦にて大敗を喫し、天文17年(1548年)には突如として武田信玄を攻め、しかも敗れるという愚挙により、家臣層の離反や内訌を招くこととなり、勢威を失ったことに端を発しているんだよね。