渋川市行幸田の甲波宿禰神社。


行幸田甲波宿禰神社は文安年間(1444~49年)に川島の甲波宿禰神社からの勧請とされる。(川島甲波宿禰神社は「上野国四之宮・甲波祝禰神社」参照)
鳥居は平成12年(2000年)の建立。


社殿は平成13年(2001年)に修復されている(完了年)。社殿前の狛犬は大正14年(1925年)の奉納。



拝殿の水引虹梁や海老虹梁に見事な彫刻が施されている。



本殿にも彫刻が施されてるが、壁面彫刻は防護ネットが付けられており見づらいのは残念。まあ保護のためには致し方ないけど。


明治42年(1909年)に合祀された各社を石碑に記し祀っている。東諏訪神社、西諏訪神社、八坂神社、前田窪稲荷神社、二本木稲荷神社、北野神社、大名持神社など。

各社の鳥居扁額も保存されている。
明治26年(1893年)に当地で近衛機動演習があり、明治天皇が親閲された。それを記念し字名を湯ノ上から行幸田に変更(当時は豊秋村)するとともに、境内に桜の木を植樹している。
また翌年勃発した日清戦争時に、勝報に接する毎に一株ずつ桜を増やしていった。さらには日清講和条約(下関条約)締結日である4月17日を例祭日に追加している。
良い悪いではなく、そう言う時代だったということ。
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