高崎市西国分町の熊野神社。

西国分熊野神社 (1)
西国分熊野神社 (2)
西国分熊野神社の創建は不詳だが、大蔵坊という山伏の坊が紀州熊野三山(本宮・新宮・那智)を勧請したと伝わる。

鳥居は平成9年(1997年)の建立。

西国分熊野神社 (3)
玉垣や境内の整備が昭和63年(1988年)に行われている。

西国分熊野神社 (4)
西国分熊野神社 (5)
西国分熊野神社 (6)
社殿は昭和27年(1952年)に改修(拝殿は全面改築修、本殿は銅板葺へ)されている。これは境内あったケヤキの大木を伐採した資金による。

西国分熊野神社 (7)
西国分熊野神社 (8)
拝殿脇障子の彫刻。

西国分熊野神社 (9)
西国分熊野神社 (10)
蠶(蚕)影太神と境内社・末社の石宮群。

西国分熊野神社 (11)
庚申塔が集積されているが、ちょっと乱雑。

西国分熊野神社 (12)
双体道祖神も集積されている。ひとつには元文(1736~41年)の銘が読読み取れた。

由緒に出てくる大蔵坊は、本山修験宗の総本山である聖護院の門跡・道興准后が文明18年から19年(1486~87年)にかけての東国廻国をまとめた「廻国雑記」中に、上野国の国分で大蔵坊に滞留したと記述されている。この大蔵坊の主家には、今も多くの古文書が残されているという。