前橋市清野町の八幡宮。
清野八幡宮の由緒は不詳。口碑によると、永禄9年(1566年)箕輪城落城時に敗残兵数名が当村に落延び土着・帰農。開墾作業中に小石祠を発見。表面には八幡宮、側面には寛和2年(986年)の刻字があった。そこで山城国石清水八幡宮の弊串を得て、弓矢を埋め鎮守として奉祀したしたのが始まりという。
鳥居は享保15年(1730年)の建立。
社殿の建立年などは不明。
境内社・末社群。八坂社、琴平社、神明宮、榛名社など。石塔型は秋葉大権現。
清野八幡宮には獅子舞が伝えられており、前橋市の重要無形民俗文化財に指定されている。吉岡町南下の下八幡宮から慶長年間(1596~1615年)に伝わったとされ、秋の例祭時に奉納される。(下八幡宮は「吉岡町南下・下八幡宮」参照)
当地は元野良犬村のため「野良犬獅子舞」として知られている。野良犬とはすごい村名だ。如来堂があったため「如来野村」と称していたが、江戸時代始め三国街道整備後に村ごと当地に移転してきた際、狼が多かったので狼の字を分けて「野良犬村」としたといわれる。
ちなみに、明治22年(1889年)に池端村・青梨子村・上青梨子村と野良犬村が合併し清里村になっている。これは池端の池のさんずいと青梨子の青を合わせ「清」、野良犬の野の里へんの「里」で「清里村」。
さらについでに、昭和30年(1955年)に前橋市に編入される際には、清里村の「清」と野良犬村の「野」で「清野町」になっている。他の旧村は「池端町」「青梨子町」「上青梨子町」と元の村名を町名にしている。
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