高崎市菅谷町の菅谷山大壱寺。

大壱寺 (1)
大壱寺は大同2年(807年)霊伝上人の開山と伝わる古刹である。

大壱寺 (2)
境内入口脇の六地蔵は平成7年(1995年)の造立。

大壱寺 (3)
大壱寺 (4)
本堂は平成6年(1994年)の建立。明治31年(1898年)建立の前本堂が昭和36年(1961年)に火災で焼失。それ以降、仮本堂で凌いできていた。

大壱寺 (5)
聖観音。平成6年(1994年)の造立。

大壱寺 (6)
大壱寺 (7)
石塔や仏塔・石仏群。

大壱寺 (8)
本堂前に3基の五輪塔がある。康永2年(1343年)、永和9年(1383年)、明徳4年(1393年)の銘がある室町初期(南北朝期)の宝塔。当地の豪族の墓(もしくは供養塔)と考えられている。旧群馬町最古の五輪塔とされている。

ちなみに高崎市の旧市部最古の五輪塔も康永2年の造立で、倉賀野町の玄頂寺にある。
(「高崎最古の五輪塔 -玄頂寺-」参照)

ところで本堂の新築を記した記念碑に、当地に菅谷城があり長野業正の長男・吉業の居館であったと書かれている。また天文5年(1546年)川越夜戦の戦傷により没した吉業は当寺(大壱寺)に葬られたとある。さらに弟で箕輪城主の業盛についても、討死後に首級は井出の原、胴体は当寺に収められたとある。

長野氏に関しては不明な点も多く、いろんな説や伝承があると言うこと。

関連
 「長野業正の長男・吉業の墓 -善龍寺 その2-
 「伝・長野業盛の墓
 「長野業盛伝説 ー落合観音堂ー