高崎市菅谷町の石塚の虎薬師(石塚は旧字名)。

石塚の虎薬師 (1)
虎薬師の由緒は不詳だが、口碑では応仁元年(1467年)祐賢というものが菅谷村に落ち着き、仏門に入り一宇を建立し薬師如来を安置したといわれる。祐賢は浄眼寺の開山とされている。(「高崎市菅谷町・昌徳山浄眼寺」参照)

石塚の虎薬師 (2)
石塚の虎薬師 (3)
虎薬師という名称の由来は、どの方向に向けて据えてもいつの間にか寅の方角(東北東)を向いてしまうからといわれる。現在の薬師如来像は宝暦5年(1755年)の造立。

石塚の虎薬師 (4)
虎薬師は眼病に霊験があるとされる。虎薬師前にはご利益があった方がお礼参り時に奉納したと思われる石仏が多数ある。ほとんど読めない案内板には「お出子」を供える慣習があるとあった。「お出子」って何? 石仏のこと?

ところで、虎薬師が鎮座しているのは石塚古墳(薬師塚古墳、堤ヶ岡5号墳などとも)と呼ばれる円墳上である。ほとんど削られており面影はない。ちなみに、すぐ側を通る高渋線バイパスの交差点の名称は「石塚古墳南」である。