高崎市菅谷町の昌徳山浄眼寺。

浄眼寺 (1)
浄眼寺は応仁元年(1467年)阿闍梨法印祐賢の開山と伝わる。

浄眼寺 (2)
山門横の六地蔵。平成7年(1995年)の造立。

浄眼寺 (3)
浄眼寺 (4)
元文4年(1739年)建立の本堂が老朽化したため、平成4年(1992年)に新築建立。

浄眼寺 (5)
浄眼寺 (6)
境内の真言供養塔や石仏など。

浄眼寺 (7)
浄眼寺 (8)
お堂があったので中を見させてもらったら、金毘羅宮だった(お札が貼られているだけ)。

先述の浄眼寺の由緒は境内にあった「浄眼寺改築之記」(石碑)から抜粋したが、群馬郡誌(大正14年:1925年刊)には天正年間(1573~92年)長野信濃守の開基とあった。

長野信濃守と言えば一般的には長野業正を指すが、業正は永禄4年(1561年)に死去しており、天正年間まで生存していない。後継の業盛も信濃守を自称しているが、永禄9年(1566年)に武田勢に攻められ自害しており、やはり天正年間まで生存していない。

と言うことで、群馬郡誌の天正年間と長野信濃守の組合わせは間違いのようだ。