高崎市棟高町の堤下公園。
その一角に詩人・山村暮鳥の詩碑がある。

山村暮鳥の碑
山村暮鳥の詩碑。詩集「三人の処女」中の「独唱」が刻まれている。昭和56年(1981年)箕郷ライオンズクラブの建碑。除幕は翌57年。

山村暮鳥(本名土田八九十、旧姓志村、小暮)は明治17年(1884年)に西群馬郡棟高村(現高崎市棟高町)に生まれる。訳あって母方の祖父の次男(志村姓)として届け出。後に実父の養子となる(小暮姓)。大正2年(1913年)の結婚時に夫人の姓である土田となっている。

暮鳥は堤ヶ岡小の代用教員を務めながら、前橋の聖マッテア教会の英語夜学校に通う。その後、東京の聖三一神学校に入学。卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として布教活動に携わっている。

神学校在学中より詩や短歌の創作を始め、木暮流星の筆名で短歌などを発表。明治42年(1909年)に人見東明から山村暮鳥の筆名をもらう。暮鳥は斬新な詩風の作品を書き、それは時に毀誉褒貶あい半ばする評価を受けることとなった。

大正13年(1924年)肺結核に悪性腸結核を併発し、茨城県大洗町で死去。40歳。

暮鳥の詩碑は土屋文明記念文学館前や足門町市民センター、前橋こども公園内など県内に多数ある。また終焉の地である大洗町や水戸市、東海村など茨城県内にも複数ある。