北群馬郡吉岡町漆原の漆原神社。

漆原神社 (1)
漆原神社 (2)
漆原神社 (3)
文永6年(1269年)に当時の村内八宇に、一宇づつ八社(神明宮・稲荷神社・諏訪神社・北野神社など)を奉祀したのが始まり。明治43年(1910年)に諏訪神社社地に八社を合併・合祀、漆原神社としている。

漆原神社 (4)
玉垣や新しい灯籠は「合祀100周年記念」の平成22年(2010年)に奉納されたもの。

漆原神社 (5)
漆原神社 (6)
漆原神社 (7)
社殿は大正2年(1913年)の建立。社殿前の狛犬は昭和15年(1940年)の奉納。

漆原神社 (8)
神楽殿。春の例祭時に巫女の舞、太々神楽が奉納される。その他、地域の踊りや和太鼓の披露、福餅が投げられ福を授かることができる。

漆原神社 (9)
漆原神社 (10)
神社東側にも鳥居が建っている。平成21年(2009年)の建立。

漆原神社 (11)
元々の8社の16末社(浅間社・八幡社・少彦名社・琴平宮・日枝社など)もすべて合祀されている。

漆原神社 (12)
御嶽山大神、意和羅山大神など。意和羅山は伊和羅山や意波羅山と書くことが多いような気がするが、木曽御嶽三神の一神。

漆原神社 (13)
漆原神社 (14)
青面金剛像や庚申塔。庚申塔は多数あり、百庚申かな。

漆原神社 (15)
ご神木(と思われる)イチョウの大木。

8社創建当時の領主・桃井義胤は各社を厚く崇敬し、祭祀の際には幣帛料を供進していたとされる。それに対し領民からは生漆を奉納したことから、漆原の村名を賜ったという。

ちなみに、桃井氏は足利氏2代・義兼の2男・義助が桃井郷(現、榛東村周辺)に桃井(西)城を築き、桃井姓を名乗ったのが始まりとされる。義胤は義助の子にあたる。子孫には新田義貞とともに鎌倉攻めに参陣した尚義、足利尊氏とともに六波羅探題を攻めた直常などがいる。