渋川市白井の白井宿。

白井宿 (1)
白井宿 (2)
白井宿は「宿」と呼ばれているが、その西山側にあった白井城の城下町として形成されている。(白井城は「白井長尾氏の築城 ー白井城址ー」参照)

白井は吾妻川と利根川が合流し、それぞれの街道が四方に交差する交通の要所であったため、武田氏や上杉氏、北条氏が白井城をめぐり攻防を繰りひろげた。天正18年(1590年)徳川家康の関東入府により白井藩となり、本多康重・松平康長・井伊直孝・西尾忠永・本多紀貞と藩主が変わったが、元和9年(1623年)に廃藩。

寛永元年(1624年)からは旗本領として分割されたが、旧城下町は六斎市の立つ市場町として栄えている。これは先にも書いたように交通の要所(利根川・吾妻川の海運も含め)で、利便性が良かったため。

取り扱われた品目は麻・繭糸・木綿・真綿・煙草・塩・茶・米など多岐に渡り、商圏は3郡24村に及んだといわれる。元禄13年(1700年)には酒蔵も5軒あった。経済の発展とともに宿場町のように賑わったので「宿」と呼ぶ者もいた。そのため白井宿と呼ばれるようになったとされる。

白井宿 (3)
白井宿 (4)
白井宿 (5)
町並みの中央には白井堰があり、雨水などの排水溝の役割を果たしている。

白井宿 (6)
堰に沿って複数の井戸がある。薬師の井戸(写真)は寛永元年(1624年)に掘られた最初の井戸。枯渇したことがないとされ、現在も多くの家で使用されている。他は宝永年間(1704~11年)、寛政7年(1795年)の江戸時代以外にも、明治や昭和に掘られた井戸もある。

白井宿 (7)
白井宿は過去3度(江戸期2回、明治)大火に見舞われ、家並みの大半が焼失し遺構もほとんどなくなっている。土蔵造りの家並みが残っているのは2軒のみである。

現在は堰に沿って八重桜が植栽され、春には綺麗な花を咲かせる。それに合わせ、毎年4月には戦国武将などの衣装を身にまとった武者行列が行われる他、農産物・特産品を販売する六斎市が開催される(白井宿八重ざくら祭り)。

今年の八重ざくら祭は新型コロナ禍のため中止だったが、来年はどうだろう?