吾妻郡高山村尻高の熊野神社。

尻高熊野神社 (1)
尻高熊野神社は元弘3年(1333年)里見五郎左衛門尉の立願により、熊野三山を村々に分けて勧請(尻高村:本宮、大塚村:速玉(新宮)、赤坂村:那智)した中のひとつとされる。ちなみに、大塚村と赤坂村は現在の中之条町区域になる。

また伝承では、永延2年(988年)坂東の聖地を巡礼していた花山法皇以下11名の高僧の元に熊野権現が現れ、「吾妻の人々をお救いください」と懇願したと言う。これにより法皇らは吾妻の地を巡り、吾妻観音霊場(33ヶ所)を整備したとされる。

そして熊野権現は「永くこの地に留まって人々を護りましょう」と言われたので、村人は熊野三山を村々に勧請したという。こちらでは尻高村が新宮、大塚村が本宮、赤坂村が那智になっている。

尻高熊野神社 (2)
尻高熊野神社 (3)
尻高熊野神社 (4)
鳥居と覆屋(社殿に見えるが)の間には、石段の下から続く道路が横切っている。

尻高熊野神社 (5)
覆屋内には朱色の社(本殿)が納められている。

尻高熊野神社 (6)
脇障子には彫刻も施されている立派な本殿である。

尻高熊野神社 (7)
神楽殿だろうか。高山村の多くの神社では、現在も神楽が奉納されている。

尻高熊野神社は明治41年(1908年)に中之条町の吾妻神社(当時は和利宮)に合祀されている(旧大塚村熊野神社、旧赤坂村熊野神社も)。現在の尻高熊野神社が再分祀されたのかは分からない。