高崎市倉賀野町の阿弥陀堂。通称・閻魔堂。九品寺の境外仏堂である。
(九品寺は「飯盛り女の墓 -九品寺-」参照)

倉賀野閻魔堂 (1)
阿弥陀堂はその名の通り阿弥陀如来を祀っている。明治41年(1908年)にお堂を建て替えた際に閻魔大王が追祀され、それ以降「閻魔堂」と呼ばれるようになったという。なぜ閻魔大王を祀ったのかは不明だが、一説には当地が罪人(死刑囚)の首をさらし所で、その亡霊を慰めるためともいわれる。

現在のお堂は平成27年(2015年)の建立。前のお堂が前年の大雪による被害を受けたため。

倉賀野閻魔堂 (2)
閻魔堂の位置するところは、中山道と例幣使街道の分岐点にあたる。写真右側が中山道で左側が例幣使街道。閻魔堂の西側には常夜灯と道しるべがある。

倉賀野閻魔堂 (3)
常夜灯は例幣使街道で日光までにある5つの中の最初のもので、文化11年(1814年)に五料宿(玉村町五料)の高砂屋・高橋文之助光賢が寄進者を募り奉納したもの。寄進者には雷電為右衛門、鬼面山与右衛門、木村庄之助、式守鬼一郎、松本幸四郎、市川団十郎などが含まれている。基台には全312名の名前が刻まれている。

ちなみに、高橋光賢に常夜灯奉納を進言したのは藤岡・光源院の僧・実相である。
(「室町幕府13代将軍・足利義輝の孫が開山? -光源院-

倉賀野閻魔堂 (4)
道しるべには「右江戸道 左日光道」とある。

日光東照宮例祭へ例幣使の派遣が始まったのは正保4年(1647年)から。以降、慶応3年(1867年)まで一度の中止もなく継続されている。

日光例幣使関連
 「玉村宿・木島本陣跡
 「鳥居のない神社 -石原賀茂神社-