安中市安中の三社神社。

文政5年(1822年)、江戸幕府道中奉行だった石川忠房は、安中宿住民の度重なる嘆願により、安中宿の常備人馬を中山道各宿の半分に減らす。

これに感謝した安中住民は忠房を生き神として生祠を建て、その恩に報いたものだという。

天保5年(1834年)には、安中藩主・板倉勝明が安中城本丸に生祠之碑を建立した。その碑は、今ここにあるようだ。
中山道宿場町は、50人50匹の人馬を常備しなかれならないという役務があった。安中宿は総人口が348人、そのうち男は162人という規模だったため、常に男の3分の1を動員しなければならなかった。
これを半分に減らせたのだから、住民は大いに喜んだ。
しかし、生きているうちに神として祀られた本人は、どんな気持ちだったんだろうね。
コメント
コメント一覧 (4)
末裔の方からのコメントに感激しておいります。
拙ブログを読んでいただきありがとうございます。これからも訪問いただけると幸いです。
えぇ~っ!本当ですか??
いろんな場所や人について、取り上げさせてもらってますが、
関係する方から初めてコメントをいただきました。
不勉強にも、三社神社に行ってその所縁を知りました。
幕府の役人というと、融通が利かない(現在も!)イメージが
ありますが、安中宿住民のことを考えての行動だったと思います。
本当に素晴らしいことと思います。
こんなBlogを見ていただくだけでもありがたいのに、コメントまで
いただき、感謝の言葉もありません。
今後も時間があるときに覗いていただけると、うれしいです。
石川忠房は、私の父方の祖母の曽祖父です。
桐生市史に束帯で画像が載っています。
正しい人のようで少し誇りに思っています。
祖母は「おひいさま」と呼ばれて育ち、父の父親に嫁ぎました、
なので私はおひいさまの孫ということになります。
ちなみにこの神社に参ったこともあります。
記事にしてくださりありがとうございました。