安中市安中の八重が渕の碑。
安中小のプール脇に、ひっそりとたたずむ八重が渕の碑。
安中城主に仕えていた八重は、非常に美しく殿様の寵愛を受けていた。それを面白く思わない他の女中たちから、いじめを受けていた。
ある日、殿様に食事を届けるとその中から針が(よくあるパターン!)。八重は蛇やムカデ等と甕に入れられて、九十九川の淵に投げ込まれたという。
この事件には御典医が一枚噛んでいたらしく、この後八重の怨念が御典医に向かう。これ以降、安中藩に抱えられた典医は2代と続くことがなく、さらに明治になっても安中市の医者は苦難や災難が続いたという。
そこで、安中医師会が昭和10年(1935年)に八重の供養を行い、九十九川岸に八重の碑を建てた。すると不思議なことに、それ以降安中の医師から災難は亡くなったという。
ところが、これだけでは話は終わらず・・・。
国道18号のバイパス工事により、八重の碑は安中小プール脇に移動することになったのだが、工事車両が動かなくなったり、不慮の事故が出たりと、工事が進まなくなった。
そこでまた、市や医師会により八重の供養を行ったという。するとこれまた不思議なことはピタッと止み、工事が再開されたという。
八重が渕の碑から見た九十九川。手前は国道18号。
似たような話。
「前橋市大手町一丁目・虎姫観音堂」
「お菊伝説・鷲翎山宝積寺 その2」
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