前橋市稲荷新田町の稲荷山西福寺。

西福寺 (1)
西福寺の創建は不詳。戦国末期ともいわれる。江戸中期に稲荷新田村修験寺・大光院の本尊・不動明王像を譲られ天台宗に改宗(もとは真言宗)。先の大戦後、天台宗修験道御嶽山法流を掲げ、意波羅(いばら)山大権現を祀る。

西福寺 (2)
西福寺 (3)
西福寺 (4)
門前の六地蔵と二十二夜塔(如意輪観音)。

西福寺 (5)
本堂は平成25年(2013年)の改築。本尊の不動明王を祀る。

西福寺 (6)
境内のもみじ。葉が赤く色付いていた。春もみじの出猩々(でしょうじょう)だろうか? 新芽が赤い種類。

御嶽山信仰は修験道の場として独自の山岳信仰として発展、厳しい修行を重ねた道者といわれる人々が集団で登拝することが風習となったもの。

天明4年(1784年)に覚明によって三岳村の黒沢口が開かれ、続いて寛政6年(1794年)には普寛によって王滝口が一般民衆に開放され、これを機に木曽周辺で留まっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと広がっている。

意波羅山大権現は御嶽信仰のひとつで、秩父御岳山麓にある意波羅山の神である。ちなみに意波羅山という名の山はない。また、普寛の出身地は秩父である。