前橋市石倉町1丁目の前橋ステーション跡。


石倉町1丁目交差点付近に、内藤分ステーション跡の碑が建っている。平成元年(1989年)の建碑。揮毫は福田赳夫元首相。
明治17年(1884年)に上野からの鉄道が前橋まで延伸され、当地に「内藤分ステーション」が設置された。正確には「内藤分停車場」だが、文明開化の当時は駅や停車場を「ステーション」と呼ぶのが一般的だったらしい。内藤分とは当時の地名で、戦国時代に当地を治めていた武田家重臣・内藤昌豊から来ている。「内藤のもの」といった意味。
当時は利根川に鉄橋がなく、内藤分ステーションが初代前橋駅の位置づけとなる。
内藤分ステーションの開業により、前橋から生糸・絹・米などの物資が東京に約4時間20分で届けられるようになった(以前は3日かかった)。特に前橋の生糸はわが国最大の輸出品として、日本の近代化に貢献している。



内藤分ステーションの碑から北に数十m(道の西側)のところに、蒸気機関車(C58)の動輪が展示され、ステーション跡の解説板などが設置されている。これは、このお宅の方が「近代化を進めた前橋の歴史を知ってもらいたい」と、平成27年(2015年)に自費で設置したもの。
明治22年(1889年)に栃木の小山ー前橋間が開通。こちらの前橋駅は現在の前橋駅の場所になる。そして、翌月には利根川に鉄道専用鉄橋が架かり、内藤分ー前橋間が接続されたことにより内藤分ステーションは廃止。5年でその役目を終えている。
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