邑楽郡大泉町城之内の祥平山龍泉院白山寺。
天文3年(1534年)3代小泉城主・富岡秀信が茂林寺から梵海正音を招いて開山、富岡氏の菩提寺とした。富岡氏初代・直光の祥平院殿と2代・秀光の龍泉院殿から「祥平山龍泉院」とし、当初は富岡寺と号した。白山寺と改称したのは寛永年間(1624~45年)とされる。
山門は元和元年(1615年)の建立とされ、総門と呼ばれていた。当時の境内は広大だったため、2度の火災を免れている。明治44年(1911年)に現在地に移され、昭和36年(1961年)に修復されている。
本堂は慶安2年(1649年)、文化2年(1805年)に火災により焼失。現在の本堂は嘉永3年(1850年)に僧・春山が再建。昭和38年(1963年)に修築。
富岡秀信の供養塔。
この供養塔を建てたのは、6代秀朝の孫・秀倶といわれる。
6代秀朝は小田原城に籠城していたが、落城後三河国に落ち延び、大坂夏の陣で真田幸村軍との戦闘で討ち死にしたという。孫の秀倶が小泉を訪れて、3代秀信の墓所を探したが分からず、菩提寺の龍泉院に供養塔を建てたという。
富岡氏の菩提寺ということだけど、富岡氏累代の墓所はないようだ。
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