みどり市大間々町浅原の百観音。
地名から「浅原の百観音」と呼ばれている。


浅原の百観音は、天保10年(1839年)から天保12年(1841年)にかけて造立されたものである。
天保の大飢饉の際、浅原村の星野新次郎が西国33か所、坂東33か所を巡り、それらの寺院の観音像を手本に、常陸の石工・外山直吉満親を自分の家に住まわせ彫らせたもの。
その後、秩父34か所も追加し、百観音としたという。


観音像は浮彫されており、左側に寺院名と観音名、右側に札所番号が彫られている。といっても、もう文字はほとんど判読できない。
お気軽に札所めぐりができた時代じゃないし、飢饉ということもあり俗に言う「私財を投じて」ということなんだろうけど、1番は「村人のために」ということなんだろうね。
今もすっごい綺麗になっていて、地元の人たちが守っているという気持ちが伝わってきた。
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