みどり市笠懸町阿左美の岩宿遺跡。
昭和21年(1946年)、地元の考古学者であった相澤忠洋によって、関東ローム層から黒曜石の石器片が発見された。
昭和24年(1949年)には、明らかに人為と認められる槍先形石器を発見。その後、明治大との本格的な調査により、日本における旧石器時代の存在が証明されることとなった。
写真は岩宿遺跡A地点と呼ばれており、1番上の石垣あたりから石器が見つかっている。
道路の反対側はB地点と呼ばれ、そこには相澤忠洋の銅像がある。最初に相澤が「槍先形尖頭器」を発見したのは、こちらのB地点である。
B地点には、平成2年(1990年)に完成した岩宿遺跡遺構保護観察施設(通称岩宿ドーム)もある。
ドーム内から実際の地層を見ることができる。写真右側の茶色の部分。
ドームでは、岩宿遺跡に関するビデオを上映しており、ド素人のオレにも理解できるくらいの優しい作り。多分、小学生向けの教育ビデオなんだと思う。
相澤忠洋は、納豆の行商をしながら独学で土器・石器の採集を行っていた。これは少しでも考古学に打ち込む時間を作るためであったらしいが、「行商人風情が」と、相澤の功績を否定する人もいた。
しかし相澤の考古学への情熱は冷める事はなく、地道な研究活動を続けた結果、数多くの旧石器遺跡を発見することで、日本の旧石器時代の存在を証明した考古学者として正当な評価がなされるようになった。
昭和42年(1967年)には、第1回吉川英治文化賞を受賞している。
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