高崎市倉賀野町の鳥啄池跡(とりばみのいけあと)。

鳥啄池跡 (1)
鳥啄池跡 (2)
鳥啄池は倉賀野神社の「飯玉縁起」に由来する池の跡である。「飯玉縁起」は倉賀野神社が飯玉明神と呼ばれるようになった由緒。池跡は平成元年(1989年)に整備されている。

以下「飯玉由緒」に関して。ちょっと長くなるが。

群馬郡の地頭・群馬太夫満行が跡取りに8男の八郎を選んだことから、兄たちは八郎を妬み鳥啄池の岩屋に押し込めてしまう。八郎は憎しみの余りに大蛇と化し国中にまで生け贄を求めるようになる。

そんな折、都から通りかかった奥州への勅使・宮内判官宗光はこれを聞き、岩屋の奥へ入って行き琴を弾き法の功徳を説いた。真っ赤な舌をのばし牙を立てて怒り狂う八郎大蛇であったが、琴の音に随喜の涙を流しこれまでの恨みを悔い改め、龍王に姿を変え「吾が名は飯玉である。今よりのちは神となって国中の民を守護せん」と宣言し飛び去ったという。

実はこれ、伊勢崎市福島町の八郎神社(群馬八郎満胤を祀る)に残る話とほぼ同じ。
(「群馬八郎満胤がご祭神 -八郎神社-」参照)

また別の伝説では、この池を「御手洗の池」や「お玉ヶ池」と呼んでいる。当地で休憩していた豊城入彦命が御手を洗おうとしたが付近に水源がない。そこで腰をかけていた石を動かすと、水が湧き出てきた。豊城入彦命は大変喜び、御手を洗われた。

その湧き水がやがて大きな池となり、藻が生え草が生い茂り魔物が棲むようになってしまった。そんなとき飯玉八郎という人が現れて、この怪物を見事に退治した。八郎は玉石の陰に身を隠して、怪物の現れるのを待って斬り捨てた。玉石は豊城入彦命が大国魂命より戴いて来たもの。

人々は「玉石が倉賀野を救ってくれた」とし、この玉石を御神体として神社に祀ったという。この石は亀石とも言って亀に似た形をしてる。

まあ、2つの話はどちらも「飯玉」に関係する内容となっている。飯玉八郎(群馬八郎)の立場が違うけど。