高崎市倉賀野町の妙観山林西寺。

林西寺 (1)
林西寺は永正13年(1516年)法印乗伝和尚の開基と伝わる。

林西寺 (2)
山門前の六地蔵。平成7年(1995年)の造立。

林西寺 (3)
同じく山門前の石仏。左から馬頭観音、清水観音、宮原十一面観音が並ぶ。みな風化が進んでおり、像容も分からない感じになってきている。

馬頭観音は万福寺(江戸初期に廃寺)にあったと伝えられている。また、宮原十一面観音は当地の守り神であったとされる。倉賀野町周辺一帯は古代から中世にかけて宮原荘(高田荘とも)といわれていた。

元は無数の石が置いてあり、その石でお腹をさすると丈夫な子が授かり、身体の痛いところをさすると治るという言い伝えがあった。願いが叶うと元の石と新し石を奉納した。

林西寺 (4)
本堂には本尊の阿弥陀如来を祀る。本堂の建立年などは不明。

林西寺 (5)
林西寺 (6)
本堂左にある大師堂。これは高野山真言宗東京別院(東京都港区高輪)の管長部屋を移築したもの。写経道場とあり、現在は月に1回写経会が開かれている。

林西寺 (7)
大師堂前の宝塔。寛政9年(1797年)の造立。

林西寺 (8)
弘法大師像。昭和63年(1988年)の造立。

林西寺 (9)
十三重石塔。平成16年(2004年)の造立。弘法大師入唐千二百年記念とあった。空海は延暦23年(804年)に遣唐使の一員(長期留学僧)として唐に渡っている。

空海は渡唐に際して「20年留学予定」としていたが、実際は大同元年(806年)には帰国している。もちろん修行期間の長短ではなく、何を学んだかが重要なのは言うまでもない。とは言え、朝廷も2年で帰ってきてしまった空海に対し、大同4年(809年)まで入京を許可しなかった。そんな空海が真言密教を確立し(真言宗の開祖)「弘法大師」と諡号されたことは周知である。