みどり市東町花輪の今泉嘉一郎の生家。

今泉嘉一郎
今泉嘉一郎は慶応3年(1867年)東村花輪に生まれた。その後明治45年(1912年)に、友人だった白石元治郎とともに、初の民間製鉄会社である日本鋼管(現在のJFEグループ)を設立した。

衆議院議員や日刊工業新聞社長などを歴任し、日本の製鋼、鋼管技術の育成、発展に尽力、昭和16年(1941年)に亡くなっている。

今泉嘉一郎の生家 (1)
今泉嘉一郎の生家 (2)
今泉嘉一郎の生家 (3)
門構えは腕木門と称される造りで、屋根面にむくりをつけた「起り破風」を持ち、門と一体をなす屋根塀と異なる意匠となっている。

今泉嘉一郎の生家 (4)
今泉嘉一郎の生家 (5)
主屋は、江戸時代末期に建てられたと考えられ、木造2階一部平屋建で、背面屋根を葺き下ろしている。嘉一郎の母・常子は当時では珍しい女医で、ここで医院を営んでいた。

嘉一郎は花輪小学校校舎の改築や、旧東村への電気の敷設に多額の寄付を寄せるなど郷土への思いも強く、現在も地元の人々の敬愛を集めている。