前橋市総社町高井の高福山観音寺。

高福山観音寺 (1)
高福山観音寺は元和・寛永年間(1615~45年)に僧・頼順の開山。元禄4年(1691年)には総社領主・安藤信富が自らの祈願所として観音堂を建立している。

総社藩は寛永10年(1633年)に秋元泰朝が甲斐谷村へ移封となり廃藩、高崎藩主・安藤重長に与えられた。重長は総社を信富の知行地とした。信富に関しては資料により重常、重昌、重保などとあり、良く分からない(重長の3男とされる)。

後に信富は総社領内で重税を課し、領民が幕府に直訴する騒動を起こしている。
(「前橋市総社町・熊谷稲荷神社」参照)

本堂は明治24年(1891年)に焼失。以降、観音堂を本堂としてきた。現在の本堂は平成25年(2013年)の新築建立。本尊は釈迦牟尼仏であったが、現在は馬頭観音が本尊になっているようだ。この馬頭観音は三面六臂で秘仏となっている。直接拝すると目が潰れるとの俗説が残っている。

高福山観音寺 (2)
高福山観音寺 (3)
庚申塔や日待塔(如意輪観音)など。日待塔には延宝8年(1680年)の銘がある。