富岡市富岡の中法山海源寺。


海源寺は慶長年間(1596~1615年)の富岡町創設時、代官・中野七蔵と海保庄兵衛が開基、宝積寺12世・芳永歴香(歴香の文字不詳)を開山として招いて中野山海源寺の名称で創建。後に現在の中法山海源寺となっている。

江戸末から明治にかけて数度の火災に見舞われ、明治26年(1893年)の火災では本尊(釈迦如来)までも焼失の憂き目に遭っている。そのため長野県南佐久郡田口村の大梁山藩松院から釈迦如来を譲り受け本尊としている。

明治5年(1872年)に殖産興業政策の一環として設立された富岡製糸は、製糸業の近代化を図るため、当時の最新技術(主にフランス)を導入していた。そのため全国から多くの工女さんが集まり、技術習得に励んでいた。しかし不幸にして富岡の地で病に倒れ、亡くなった工女さんも多かった。
明治6年(1873年)~明治9年(1876年)に亡くなった工女さん2人と工男さん1人が葬られている。男性もいたのね。
墓石のひとつには、次のような辞世の句も刻まれている。
「夏の夜の夢いをさそふ時鳥(ほととぎす) 我が名をあげて雲の上まで」
現在、富岡製糸場を中心とした「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、世界遺産に登録する取組が進められている。志半ばで亡くなった工女さんたちのためにも、世界遺産として残したいものだ。
*追記
平成26年(2014年)6月「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産登録となりました。
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